シンプルにくらす

シンプルなくらしを楽しむきっかけ1 究極のシンプル・ミニマルライフを実践。結婚を機にすべての所持品を手放し物理的にゼロになってみた 

2021.09.23

すべての所持品を手放してゼロから暮らしをはじめてみた


シンプルなくらしを始める
きっかけとなったのが
妻との結婚でした。


独身だったかつての私は
神戸市の郊外で
一人暮らしを満喫しておりました。


2F建てのユニークな
コンクリート打ち放しの集合住宅で
いわゆるデザイナーズマンション
ってやつです。

コンクリート打ち放しデザイナーズ
コンクリート打放しデザイナーズ



一度でいいから、
本物のコンクリート打ちっぱなしの
家に住んでみたいと

現実的な予算内でヒットした
都心から電車で1時間30分の
郊外に立地する
デザイナーズマンションです。

玄関前に2台の駐車スペースあり。
2階建て、2LDK67m2で、
家賃9万円と好条件の物件でした。


独身で住むには
十分過ぎる広さでしたが、

真冬は家の中が
氷点下になりましたし
真夏は冷房をフル稼働しても
2階は灼熱のままという
過酷な建物でもありました。


1F と2Fには広いバルコニーがあり
ガーデン家具や
ガーデンパラソルを配置して
お外でもご飯を楽しめるようにしていました。


今思えば、
この頃から”お家でお外ご飯”という
コンセプトを楽しんでいたんですね。




LDKにはコルビジュエの
LC2ソファと、
ホワイトに塗装した
イサムノグチのテーブル

ダイニングには
円形のカフェテーブルを置いて、
Vitraのイームズチェアや
パントンチェア、トムバックチェア
を置いていました。

この頃から
ホワイトのインテリア好きが
加速していきます。

独身時代の白いインテリア
独身時代の白いインテリアイメージ



一人暮らしのクセに
何から何までインテリア類を
揃えていましたから、

いざ結婚となったときも
何も買わなくて良い状態でした。


妻も、一般的な女性と比較すると
所有するモノが少ない方なので、
結婚する際は
ダンボール箱と身一つで
我が家に来てもらう予定でした、、、が

この後ある事実が判明し
そんな計画はすっかり
音を立てて崩れていきます。





当時妻には尊敬する
2人のメンターがいました。

そのメンターさんは、
それぞれが会社を経営されている
女性経営者さんで、

ふたりとも同じ美術大学出身の
ご友人でもありました。

二人はチームを組んで
広告媒体を手掛ける
アート集団としてチームを
組んでいらっしゃいました。

そんな組織に
独身の頃の妻はアルバイトとして
お世話になっていたのです。



妻と付き合っている頃から
彼女の2人のメンターの話は
よく聞いていましたが、

このメンターのお2人、
会社経営をしているバリバリの
キャリアウーマンというだけでなく、
とてつもなく凄い
スピリチャルな能力の持ち主でもありました。



私は未だに直接お会いしたことは
ありませんが、
妻へのアドバイスだけでなく

独立して間もない私に
メールを通して
様々なアドバイスをいただき、
今日に至ります。


私の精神状態だけでなく
これまでの生い立ち
昔の人間関係などなど、
全て全部妻のメンターにはお見通しで

真のスピルチャルの前では
プライバシーなんて一切意味がない!
と驚愕したたことを懐かしく思います。


冷戦時代にアメリカとロシアでは
超能力によるスパイ合戦をしていた
なんて都市伝説がありましたが、
あれ都市伝説でも何でもなくて
本当にあったことなんだと
心の底から思いました。


そんな妻のメンターのお一人。

カメラマン派遣会社を
経営されていた
スピリチュアルな能力にも
長けるMさん。

妻がそんなMさんの家に
遊びに行った時に
あるメッセージをいただきました。

それが

”トランク一つで
 暮らすように旅をする”

というもの。

お邪魔したMさんの家に上がると、
そこには最低限の
上質な家具のみが置かれた
生活感の全くない
まるでホテルのような
空間だったそうです。

Mさんは、
1年の半分を海外で暮らし、
もう半分を日本で暮らしたりと

それこそトランク一つで
暮らすように
世界中を旅をしていて

旅好きな妻は
そんなメンターを心の底から
羨ましいと感じ、
正直にその気持を伝えたそうです。


するとそのMさんからは

「あなたたちこそ、 
 トランクひとつで 
 暮らすように旅をすることが 
 お似合いだと思うよ。  

 だから私がそのお手本になって 
 あなたに見せてあげてるの」

そう言われたそうです。

妻から話を聞いた私も
暮らすように旅をするなんて、
カッコイイしなんだか楽しそう。

素直にそう感じました。

ただ、Mさんは
自分のビジネスからの収入だけでなく
投資でも成功されていましたので
そんなくらしができる素質が十分あります。


一方の私は独立して間もない身分。
いつかそんな自分に
なれたらいいな
とただただ思うばかりでした。

そうは言っても、
行動しなければ
何も始まりません。

まずはシンプルにくらしてみる。
そしていつかは
妻のメンターみたいに
旅を楽しみしみながら
暮らしてみたい。

Mさんのライフスタイルへの憧れが
シンプルなくらしへの
後押しとなりました。

ただシンプルなだけでなく、
くらしをシンプルしした上で
何を楽しんでいくのか?

そんな目的が出来た瞬間でした。


そしてここからの出来事が
シンプルライフを始める
決定的なきっかけとなっていきます。

時を同じくして、
妻があるアドバイスを
貰って帰ってきました。

それが

「結婚を機に、
 髪の毛一本たりとも
 古いものは
 新生活に持っていかないこと」

というもの。



アドバイスをくださったその方は
妻のが一時期友人と通っていた
弓道の先生が、先生と呼ぶ、
合気道の達人のご老人でした。

ここでは
Fさんと呼ばせていただきます。



現代医学を持ってしても
完治出来ない病気を患っていた
当時の妻は、
不思議なご縁で
このFさんと出会いました。


どうしてこのFさんと妻は
出会うことが出来たのか?

出会いの詳しい説明は
ここでは端折らせて
いただきますが

妻に聞かせてもらった
その内容はまるでSF映画の
ワンシーンのようでした。



それだけでなく妻は、
面識が全く無かった
このFさんに
後日救われることになります。

大学病院にて
治療を受けていた妻ですが、

担当の先生は親身になって
新薬を試してみたり、
ありとあらゆる手を
尽くしてくれました。

ところが
そんな担当の先生が
ガンで他界してしまったのです。


絶体絶命の状況の中、
一生病気と向き合って
生きていく覚悟が必要だった妻は

結果的にこの合気道のFさんに
気の力だけで
病気を完治していただいたのです。



「どうして私を助けてくれたのですか?」

とFさんに妻が問いかけると

「あなたは前世で
 私を助けてくれた。
 今度は私があなたを助ける番です。

 ◯◯先生はよく頑張ってくれた、
 このままではあなたの旦那さんが
 悲しむことになるからね」

と知るはずもない、
他界した担当医の先生の名前を言い当て
数時間の手かざして、
病気を直してくれたんだそうです。

数時間の手かざしの最後に
喉の奥から血の塊を吐き、
妻は病気から開放されたのです。



あまりにもドラマチックで
びっくりする内容だったので、
私も半信半疑で
話を聞いていましたが、

その後の妻の身体の変化は
疑いようもありませんでした。

病気の時の妻の状態を
知っているからこそ、
この事実を受け入れざるを得ませんでした。



その治療後にFさんから
私に託されたアドバイスが

 結婚を機に、
 髪の毛一本たりとも
 古いものは
 新生活に持っていかない。

というものだったのです。




もし、
知人からのアドバイス程度であれば
多分実行はしていなかったと思います。

独身時代にコツコツと
インテリアをコーディネート
していましたし、

当時は独立したてで、
自分のビジネスも
軌道に乗っていた訳ではありませんから

そんな不安定な状況で
所持品すべてをゼロにするなんて
無謀そのものです。



でもね、
なんせ妻の病気をたった半日で
直してしまった命の恩人からの
アドバイスです。

そんじょそこらの人からの
アドバイスとは重みが違いました。

所持品をすべて
手放してみる試みを自ら進んで
チャレンジしてみる価値はある。
素直にそう感じました。



家に帰ってきた妻と話し合い、
いただいたアドバイスを
一つ一つ吟味し

引越し先の新居が
決まったタイミングで、
私の所持品をすべて
ゼロにすることにしました。





以下に実際に手放したものを
一覧にしてみました。


【物理的に手放したもの一覧】
□インテリア類
・3Pソファ
・ラグマット
・1Pソファ
・ダイニングチェア×3脚
・ダイニングテーブル×1台
・ウーテンシロ(壁収納)
・ペンダントライト
・大型ミラー
・リビングセンターテーブル
・リビング天井照明
・ガーデンチェア×3脚
・ガーデンテーブル
・ガーデンパラソル
・TVボード
・カーテン類
・2F天井照明×2台
・洋服ハンガーラック
・インテリア雑貨
・突っ張り式マガジンラック
・ラバランプ
・ゴミ箱

□家電、音響
・音響スピーカー
・アンプ
・TV
・DVDプレーヤー
・レコードプレーヤー
・冷蔵庫
・電子レンジ
・洗濯機
・炊飯器
・電気ケトル
・ミキサー
・フードプロセッサー

□デジタルガジェット
・携帯電話
・デスクトップMacPC
・Windows ノートPC
・ビジネスプリンター

□日用品
・お鍋〜お皿(キッチン調理器具)
・お風呂チェア&湯おけ
・シャンプー&リンス
・石鹸
・洗剤、掃除用品
・電動歯ブラシ
・歯磨き粉
・トイレブラシ


□洋服
・アウター類 すべて
・インナー類 すべて
・下着、靴下

□寝具
・敷ふとん&カバー
・敷きパッド
・掛ふとん&カバー
・お客様用布団セット
・枕&枕カバー

□本、書類
・文庫本、単行本、実用書
・雑誌
・セミナー教材
・仕事で使用していた書類一式

□写真
・当時持っていたすべての写真
・デジタルの写真データ
・卒業アルバム

□自動車関連
・乗用車
・自動車パーツ
・自動車工具
・自動車メンテナンス用品

□趣味のアイテム
・エレキベース 
 FENDER USA ’77 JAZZ BASS
・エフェクター類一式
・配線類
・PAスピーカー&ウーファー
・アンプ内蔵デジタルミキサー
・ポータブル発電機(路上ライブ用)
・CD
・DVD
・レコード

□その他
・自転車



なんせ、

髪の毛一本たりとも
古いものは
新生活に持ち込まない

という内容のアドバイスも
ありましたから

物理的なものは
パンツや靴下に至るまで
すべて手放しました。



サラリーマン時代から、
ヤフオクで
モノを販売することには
慣れていましたので、

新居へ引っ越すまでの
1ヶ月間はほぼ毎日、
販売するものの写真を撮影して
ヤフオクに出品し、
売れた商品を梱包し
出荷する日々を送りました。


なかなか売れない
モノがあれば、
専門のショップに委託して
販売代行をお願いしたり、

ハードオフなどの
中古品買取ショップに
売れなかったモノを持っていき
ありとあらゆる手を使って
所持品を販売しました。



その甲斐あって、
トータルで売れた所持品の総額は
200万円を超え、

この売上を元に、
新生活の家電やインテリアを
買い揃えることが出来ました。

まあ、車も売りましたし
高額な楽器も売れましたので
これくらいの金額に積み上がったのは
想定内でした。


一旦すべてのモノを手放すには
ものすごく労力がかかりましたので

何か新しくモノを買う際には
一旦立ち止まって
本当に必要かどうかを
まずは考えるようになりました。

実際に何かを買った場合は
買ったものと同じ目的のアイテムを
必ず手放すようにしました。

売れそうなものは
ヤフオクやメルカリで販売し
販売できないようなものは
感謝を持って
廃棄することで

一方的にモノが増えないよう
クセづけが出来ました。


モノが少なくなって
とにかく良かったことは
”管理が楽”ということ。

大切に使うアイテムは
必ずメンテナンスが必要ですし
何かを探すといいう行為そのものが
少なくなりますので
時間の節約にもつながりました。




こんな話を聞いたら、
手放した甲斐があったやん!
と思われたかもしれませんが
話はここでは終わりません。


実は目に見えるもの意外に、
目に見えないものも
全て手放したのです。



この目に見えないものを
手放してことと、
引っ越し先に選んだ
物件の家賃が原因で
新生活の最初の2年間は
本当に大変でした。


預貯金は数ヶ月でなくなり
生まれて初めて借金をかかえ、
そんな融資も半年で底を突きました。


当時の私達は
暮らすように旅するなんて
夢のまた夢、、、

日々の暮らしの為の生活費を
どうやって稼ぐのか
日々資金繰りで
あたふたしていました。



今思えば、
その苦労があったからこそ、
身の丈以上の家賃の物件に
住んだからこそ

今の自分の生活に
つながって行くので、
苦労したからこそ手に入れた
大切なものも
たくさんありました。

”捨てる神あれば拾う神あり”

とはよく言ったもので、
ピンチだった私を助けてくれる
救世主が現れたのです。


目に見えないものを
すべて手放した私が体験した
復活劇は次回にご紹介したいと
思います。

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