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シンプリストの暮らし 天職を見つけるなら自分の外側ではなく内側に目を向けてみる。転職難民状態から天職を見つけることが出来た解決法とは?!

2021.07.15

自分の内側に目を向けたら、人生が好転し始めたお話 その1



今回は記念すべき1回目の投稿なので
自己紹介を兼ねて

”自分の内側に目を向けてみたら、
人生が好転し始めたお話”

特に仕事についてお話をさせていただきます。




今でこそ
生活感の無いシンプルなくらし、
シンプルモダンインテリアを専門とする
インテリアデザイナーとして
自分の才能を分かち合うことで
生計が立てられていることを
心から感謝しています。

というのも、
それまでの人生は
ほぼ試行錯誤の連続ですし
決して順風満帆では無かったからです。

そこで今回は、
仕事とは?自分にとって天職とは?
そんなことにフォーカスを当てて
自分の経験をお話させていただきます。




私は小さな頃から
漠然と建築の世界に憧れがあり

大人になったら
自分がデザインした家に住みたい。
と密かに思っていました。


絵を書くのも得意だったので
高校受験を前に
美大に進みたいと
親に相談したこともありましたが、

”美大出は
 食いっぱぐれる奴が多い”

と許可を出してもらうことは出来ませんでした。



美大を出たとしても
食べていける才能の持ち主は
わずかしかいない。

それよりも社会に出てから
確実な成功を得るには
6大学を出て、
安定した大企業に勤めること。

それこそが
高度経済成長期を経験した
両親の成功法則であり
成功体験でした。



そのため、
私は幼稚園から受験を経験し
これまで小学校受験、
中学校受験、高校受験と
常に受験を経験してきました。

でも一度たりとも受験に意味を
見いだせなかった私が
高校受験の時に出した結論は

・自分の実力内で
 確実に受かる高校を受験すること。

・大学受験をしなくて済む
 エスカレーター式の学校に進む

という選択でした。



進学校に進んで
建築学部のある大学を
再び受験するという意思も意力も
当時の私には
1ミリも残っていませんでした。

そして自らの意思で、
建築学部の無い
大学附属の高校に進んだのです。




そんな決断をした私に
待ち受けていた学生生活は
予想通りのものでした。

建築とは全く無縁の学部を選択し
自分で高校や大学を選んだくせに、
どうせやりたい勉強なんて
この学校には無い。

そんな勝手な言い訳をする
無責任な日々を送っていました。



授業を受けるよりも
バイトをしてサークルに励み
建築家になる情熱も無ければ
努力も行動力も伴わない、
それはそれは
中途半端な学生時代。

客観的に見てたら
”アホなやつ!”
ってすぐに分かるようなもんですが

親が敷いたレールを進むと
こんなに子供は不幸になるんです。
という無意識の反抗を
正当化する為の行動だったと思います。




ギリギリ大学は卒業出来たものの、
いざ就職活動というタイミングで
住宅業界や不動産開発、
店舗設計などの建装系の会社に
的をしぼり

”なんとなく建築家になりたい”

という漠然とした夢に
今更ながら近づこうとする
往生際の悪い男でしたが、
時はバブル崩壊後の日本。


建設業界を始め店舗設計住宅業界は
すっかり元気を無くしていましたので
建築家の資格すら
持っていない文系の私を
選んでくれるような余裕のある
会社なんて一社もありませんでした。



結局唯一内定をいただいたのは
ファッション系の百貨店一社のみ。
待っていたのは日々課せられる
売上のノルマでした。

”営業目標”を
ゲームのように楽しめる
性質を持ち合わせない私は、

毎週のように同期や先輩と飲みに行き、
カラオケ三昧でストレスを発散する
日々を送りました。


仕事にやりがいを見いだせなくなると、
趣味のバンドに明け暮れるようになります。

今思えば、
バンドを精力的に行うことで、
自分と向き合うことから逃げていたんですね。


しかしそんな状況も3年も持ちませんでした。

部署替えの希望を出して
環境を変えてみたりしましたが
結局は毎日がストレスの日々。



朝起きても会社に行きたくない。
一切の気力が湧かない
廃人のようになっていました。


”よし!今日会社を辞めよう!”


そう決意し、
誰にも相談することもなく
会社を辞める決意をしました。



いつもと同じように出社をし、
朝礼が終わったタイミングで
勇気を振り絞り、
フロアマネージャーに
会社を辞めたいと伝えました。


”少しは考えなおしたらどうだ?”

辞めることは決意していても
そんな言葉をかけてもらうことに
少しばかりの期待を持っていた私に
かけられた言葉は、、、


”そうか”


たった一言でした。



プライベートでも、
趣味のウィンドサーフィンに
誘って頂いていたのは
私だけでしたし、

仕事中の私を誘い
カフェで一緒にお茶をして
いたのは先輩を差しぬいて私だけでした。

”俺は認められている”|

いつの間にかそんな
どうでもいい優劣感に浸っていた私がいました。

”フロアマネージャーなら
今の自分を少しは理解してもらえるのでは?”
そんな淡い期待もあったんだと思います。





ところがマネージャーは
その場からすぐに立ち去り
人事部に報告。

その日の午後から
即日で有給消化に入り、
3年弱勤めた会社を
あっけなく辞めることとなりました。




会社を辞めるには
辞表さえいらないんです。
誰も引き止めてはくれないんです。

ただの自惚れでした。
会社を辞めるなんてあっけないもんです。
誰でも代わりがいるんです。




午前中には、
同僚はもちろん先輩方
フロアにいたテナントさんの社員さん
バイトの子達に挨拶をして
会社を去ることになりました。

後日同僚に言われたのが

”お前が辞めると行った時、
マネージャーが裏切り者って言っていたぞ”

という一言。
正直衝撃でした。



残されたものにとっては
会社を辞める奴って
裏切り者だったんですね。

確かに私を可愛がってくれ
目をかけてきてくれたが故に
裏切られたという気持ちが
あったのかもしれません。



でもやりがいを見い出せなかった
当時の私には、
そんな事を考える一切の心の余裕は
ありませんでした。

むしろ裏切り者と言われたことに
衝撃を感じました。

立場が変われば見え方が違う
そんな強烈な経験でした。





さて、威勢よく会社を
辞めてみたものの
次は一体どうする?

転職先を見つけてから
会社を辞めるなんて
発想のない私。

未来は決まっていないものの
25歳の私はまだまだ若く
エネルギーに満ち溢れていました。



この3年間
売上を上げることに
意味が見いだせなかった私には
会社を辞めた直後の状況は
清々しくもあり
軽やかな気持ちで一杯でした。

会社を辞めたその日の午後に
本屋に立ち寄り
転職情報誌を買いました。

すると環境浄化技術が売りの
公共事業営業職の求人情報に
目が止まりました。


”水処理環境プラントの営業職募集”



”売上のノルマに
意味を見いだせないのであれば
自分が売りたいものを売ればいい”

当時密かに環境問題に興味を持ち
自分なりに情報収集していた
私にとって、
環境浄化の技術を売るということは
大義名分にかなった選択でした。


”絶対にここで働く”


そんな強い覚悟は
後日の面接でも遺憾なく発揮され、

結局は両親が敷いてくれた
6大学出身という経歴も
味方をしてくれました。

当時の会社で働くには
出身大学も大事な要素だったんです。

親の敷いたレールも
あながち間違いではありませんでした。




新しい会社は
ノルマ最重視の会社から転職した私とっては
まるで天国にいるような心地よさでした。

数億円のプラントを売りこむには
自分一人がどんなに焦って頑張っても
無理な世界。

様々な人たちの力を借り、
チームで動き
協力者を見つけ応援してもらう
という人間力も必要です。

”ただひたすら売って売りまくれ”
そんな業界にいた私には
新しく飛び込んだ業界自体が
本当に居心地の良いものでした。




でも、営業を5年ほど経験した頃、
その時営業を行っていたプロジェクトの
複雑な会社の受注方針に反発し
私はその会社を辞めました。

技術提案型のコンペスタイルの案件でしたが
会社が出した受注のための決定事項は、

競合他社の技術を
受注後に必ず採用するという条件を持ちかけ
その会社をコンペから外し
1社随意契約に持ちこむというもの。



数ヶ月をかけて、
会社の技術陣と打ち合わせを重ねながら
提案してきた自社の技術。

自社の技術で受注したとしても
うまく稼働する保証はない案件でした。

もしうまく稼働しなくて
期待した性能が
発揮出来なかったとしても
その経験を糧に
改善を繰り返すうちに
必ずや良いものが作れるかもしれない。

結果的には会社の為にも
クライアントさまの為にもなる。

そんな気持ちで資料をまとめ
町役場に提案していた自社の技術。


それを受注したと同時に
提案内容に問題があったとして
競合他社の機械プランに
町役場に変更してもらうように
働きかけるなんて
私には出来ない、、、



もしそんなことをしたら
お客様はどう思うのか?

私がお客様だったら
どう思う?

自分なりに考えました。



”サラリーマンである以上、
ある程度の規模の会社にいる以上
自分のやりたいようには出来ない”

そう実感させれられた瞬間でした。


そのまま会社に残って受注すれば、
間違いなくそのプロジェクトの尻拭いを
自分がすることになります。

自社技術の上場の為なら
まだしも
なんで他社の技術のために
自分が動かなければいけないのか?


自分の行動に責任が取れるか?
自分の真意に嘘をついて
会社のために今後も働けるか?


答えは明確にNOでした。




意味を感じられないものを売ることより
環境問題に貢献できることは光栄なこと。
でも売上のために自分の心に
嘘をつくことは出来ない。

それが素直な私の気持ちでした。


社会的な大義名分がある
会社で働けるからと言って、
それが自分にとっての
天職になるかどうかは
全く関係ありませんでした。




自分にとっての天職に近づくには

1,自分にとって意義のあるものを提供する
2,自分が提供したい方法でサービスを提供する

この2つが大切だと分かりました。






再び振り出しに戻った私は
それ以降転職を繰り返す
ようになりました。

自分の外側の環境を
どんどん替えることで
やりがいや生きがいを見つけようと
必死に模索するようになったのです。


太陽光発電の営業
フランチャイジーの営業
などなど、、、
その後の半年間で3回も職を替えました。



でも結果的に
どんなに自分の外側の環境を替えても
決してやりがいや生きがいを
見つけることは出来ませんでした。

あれだけ熱を上げていた
バンド活動ですら
情熱がなくなってしまいました。

安定した仕事があったからこそ
心の余裕があったからこその
趣味活動だったんです。




俺の天職って何なんだろう?
俺の夢ってなんだろう?

小さな頃、いつか自分で設計した家に住みたい。
そんな夢すら天職を繰り返すうちに
完全に見失っていました。




31歳になった私は、
ここでひとつの決断を出します。


”よし、インテリアの世界に飛び込んでみよう!”


自分の設計した家に住みたい。
でも建築家になることは
とっくの昔に諦めている。

でも当時の私は
当たり前のように
自宅のインテリアコーディネートを
行っていました。


中学の頃に、
自分に与えられた和室を、
まるで音楽スタジオのように
自分のセンスでコーディネート
していましたし、

サラリーマンの頃も、
家賃の安い山奥の田舎にあった
コンクリート打ちっぱなしの
デザイナーズマンションで
暮らしていましたし、

私にとっては、
インテリアをコーディネートする事は
決して特別なものではありませんでした。


それは私の日常であり
なにも力まずとも
誰からも頼まれなくても
勝手にやってしまうことでした。


そうだ!
インテリアの世界に身を置いたら
自分の天職がみつかるかも?
そう感じたんです。


大義名分でもなく
親が言う安定した大企業でもなく
自分が無意識にやってしまう事。

そんなインテリアの業界に就職してみる。
それが就職難民になりかけていた
私が出した答えでした。



早速転職先を見つけるべく
情報誌を買って職を探しました。

前回の転職の際も
一冊目の情報誌にて
希望の職種を見つけた私には
今回も楽勝でしょ。
と高をくくっていました。


でも情報誌には1件たりとも
インテリア系の就職先は載っていませんでした。

目に止まるのは完全実力主義
能力主義の営業職ばかり。


翌週も情報誌を買って探します。
やはり1件も載っていません。

翌週も翌週も探しましたが
やはり見つかりません。



よし分かった!
そっちがそう来るなら
俺も本気や!

インテリア系の仕事が出てくるまで
決して諦めず探し続けてやる。



長期戦を覚悟した私は
実家から何でもいいからと
不用品をダンボールで送ってもらい
売れそうなものを片っ端から
ヤフオクで出品しながら
生活費を賄いました。

ホームセンターで安売りしていて
転売出来そうな商品があれば
購入してヤフオクに出品していましたし、
当たりまえですが、
貯金を崩しながら生活もしました。



そしてとうとう5ヶ月後に
神戸にてインテリア系の仕事の募集が出たんです。

”インテリア雑貨メーカーの企画営業”
”マーケット調査”
”海外リサーチあり”

来ました!
営業職ならまかせろ!
それしかやってないし
それしか出来ないから!


ところが、、、
採用条件にこんな一文が書いてありました。

”営業職 年齢制限25歳まで”



当時の私は31歳。
募集要項の年齢よりも6歳オーバー。



でも、半年待ってやっと出た
インテリア系の営業職。
海外にも行けるという憧れ。

卒業旅行でしか
海外旅行を経験していない私には
簡単に諦める分けには行かないと
とにかく知恵を絞って考えました。



サラリーマンの頃からは
すべての家具を白で統一して

白くない家具は
自分でホワイトにペイントして
カスタマイズしていた私は

いくつかのインテリア雑誌に
自ら写真を投稿して
掲載されたこともありました。



”そうだ!インテリアへの情熱を
 目に見える形でアピールできれば
 なんとかなるかもしれない、、

 あのときの雑誌に掲載された
 自宅の写真を履歴書に同封して
 送れば、年齢は別として
 話だけでも聞いてくれるかも?”


そう思いついて
履歴書に
インテリアに対する情熱はもちろん
これまでの営業経験も
しっかりアピールし
雑誌に掲載してもらった
私の部屋の写真のコピーを添え
郵送で指定の住所に速達で送りました。




結果は!?


見事内定をいただきました。

神戸の最低賃金という条件を飲む代わりに
そこの会社で働くことが出来たのです。




半年待った私には
この経験は本当に嬉しかった。

3,入りたい会社があれば、
お金ではなく情熱をアピールする。

天職に近づくにはそんな事も大事なんだと
思った瞬間でした。





入社した会社は
ワンマン経営者の社長が率いる
小さな会社で

入社からの1年間は
本当に幸せな一時でした。

・マイカー通勤を許してもらえた
・週の半分は出張で関東方面にでかけていた
・年間5から6回は市場調査や展示会、工場での品質検査で海外に行ける
・ある程度自分の意思を許してもらえた


こんな状況は
私のサラリーマン人生で
一番ストレスのない時代でした。
でもそんな幸せも長くは続きませんでした。

営業方針で社長と折り合いがつかず
意見の相違や口論が絶えなくなりました。


結局私は

2,自分が提供したい方法でサービスを提供する

という条件を重んじていたのです。




心にモヤモヤを抱えながら
中国に出張する際に
ふと空港の売店で手にした
ある本との出会いで
私の人生はさらに動き始めました。

自分の内側を棚卸しする
SOURCEという本と出会ったのです。

SOURCEとは”源”という意味です。

自分を自分たらしめている
自分だけにしか無い要素を導き出し、
自分の人生にそれらの要素を取り戻す。


そして仕事はもちろんのこと、
プライベートの充実も図り、
自分の生活全てのバランスを
見直していくことで
人生がうまく回転し始める。

そんな内容でした。



その本の最後に
自分で行えるワークが
紹介されていました。


機内であっという間に
読み上げた本でしたが

自分一人の力だけでは
”自分の源”を
導き出せそうにないと判断した私は、
後日ワークショップに参加しました。



ワークショップでは
小さな頃に好きだった事
夢中になったことなど
ポジティブな要素を思い出し
キーワードにしていくという
楽しいワークでした。

このワークは私にとって
本質的な自分の内側に
初めて焦点を当てて
目を向けるという経験で
何もかもが新鮮でした。



ワークの最後に、
潜在意識の力を借りて
自分専用の地図を作るのですが

この地図こそが、
自分らしい人生の道標となるものでした。
自分の人生にとって大事な要素を
17のキーワードで示したマップです。




私はこの地図を見て
自分がサラリーマン向きでは
無いことに初めて気づきまました。

自分の人生を
力強く牽引してくれる
キーワードに

”SOHO”

という文字が出てきたからです。


ここで言うSOHOとは、
ニューヨークのエリアではなく
”SMALL OFFICE HOME OFFICE”の事。

自分のお気に入の
おしゃれなインテリアに囲まれ
自宅でリスクを小さく抑えながら
自営業を始める。

そんな意味合いが
このSOHOというキーワードには
込められていました。



ただ、そうは言っても、
”何をビジネスにするか?”
そんな情報はワークで導き出した
マップにはダイレクトに書かれていません。

自分にとって大切な17個の
キーワードだけが
その地図に書かれています。

そんな17個のキーワードから
自分らしいビジネスを
自力で導き出すしかありません。

すぐにビジネスを思いつけなかった私は
リスク無く副業から始めることを決意します。




決意をすると現実が変わるとは
良く聞く話ですが、
そんな決意が思わぬ方向で動き始めました。

いつものように出社すると
社長の様子がおかしいことに気づきます。

いつものようにラジオ体操をして
朝礼が終わると、役員に呼ばれました。

”社長が宮崎くんを
 首にしようとしているから
 今すぐ行って謝まってき!”

さすがにこの言葉は
寝耳に水で動揺が隠せませんでした。



社長に営業方針で
反抗するようになってしまった
私の存在が社長の体調を
悪化させていたのです。

ワンマン経営者だけに
言うことを聞かない社員の存在は
ストレス以外の何ものでもありません。

私にとっての正義は
社長にとっては
正義でもなんでも無く
ただただ健康すら害してしまう
悪の存在でしかありませんでした。



早速社長室に言って
役員から聞いた話を持ち出し
非を認め誤りましたが
時すでに遅し。

一度決めたことは
絶対に曲げない社長です。

最後に勤めていた会社から
勤務開始から僅か1年半で
即日解雇となりました。




副業を行う決意は
確かにしましたが、、
会社を辞める決意まではしていません。

どんなことで独立するかすら
決めれていなかった、
このタイミングでの
即解雇宣言には
動揺を隠すことは出来ませんした。


とは言えクビになった理由は
私にあります。
役員や社長に歯向かうという
私が撒いた種です。

いずれ独立してやる
という気持ちが
態度に出てしまって
いたのかもしれません、、、



100%確かに私が悪い。

でも考えようによっては
いつか独立して
SOHOスタイルで働きたいという
地図を手にした私にとっては
むしろ良いチャンスなのかもしれない。
と捉えることも出来ます。


この絶体絶命のピンチを逆手に取り
即日解雇を要求してきた
社長と交渉し、

わずか1年半しか
勤めていないにもかかわらず
独立準備金にしようと
退職金を要求したのです。



この会社では
サービス残業は当たり前でした。

私が入社した時から
早めに帰社する人が
全員のタイムカードを押して
帰っていましたので
毎日のようにサービス残業をしていました。


”このサービス残業のことを
労働基準監督署に密告します。
それがもし嫌であれば
即日解雇に応じるので
退職金をください”


脅しとも取れる私の要求に
社長は応じるしかありませんでした。

私は退職金を元手に、
パソコンと
ホームページ・ビルダーを購入し
独立の為の準備に取りかかることにしました。

妻と結婚するわずか2年前の話です。




自分の内側に目を向けて、
自分を棚卸し
SOHOというキーワードから
サイドビジネスを行うと
決意をしたとたんに、

どういう訳か
ほぼ強制的に会社をクビになり、
結果的には独立して
紆余曲折を経ながらも
今に至る私の人生、、、

うんうん
まるでジェットコースター。



おかげさまで
インテリアデザイナーという仕事は
私にとっての天職ですし

SOHOスタイルでの
仕事環境に慣れ親しんでいる
私にとっては

在宅ワークが主流の
コロナ禍の昨今では、
このSOHOスタイルの働き方は
慣れ親しんだものです。




これまでの私の経験では
会社を転職するとか、
まわりの環境を変えてみる
というアプローチから、
自分の天職を見つけることは
出来ませんでした。



私をやりがいのある仕事へと
導いてくれたきっかけは、

”自分の内側に目を向けて”
”棚卸し”をすることでした。


もし、

”天職の見つけ方を教えてください”

と質問されたら
間違いなくこう答えます。

”あなたの才能はなんですか?”
”あなたが例えタダでも、やってあげてしまうことってなんですか?”
”あなたが無意識でいつもしてしまうことってなんですか?”
”あなたが もっとこうしたらいいのに、、、といつも考えてしまうことって何ですか?”



答えは最終的にはあなたの中にしか無いんです。
本当にそれだけだと思います。



私が思う天職とは

”自分の才能をご縁ある人に
出し惜しみすることなく
分かち合い、自分のやりたいようなスタイルで
お金を得ている状態”



なんだと思います。


自分の才能を知るには
自分の適性を知る必要があります。
自分が心地よく才能を発揮するには
どんな環境に身を置けばいいのか?
どんなスタイルで働かせてもらえばいいいのか?



その事を知るには、
まずは自分を知ること。

そして何でもいいから
たくさんの仕事を経験して
自分も喜びを感じ
サービスを受けた人も喜びを感じる
そんな経験をしない限り
見つけられないと思います。



だから時間がかかってもいい。
自分にだけは嘘をつかない。
そして自分の才能や能力を出し惜しみせず
周りの人のために出し切る。

”働くことは傍を楽にさせること”

尊敬するメンターの一人が言った言葉です。
そのメンターはこうも言っていました。


”自分の才能が分からないんだったら
とにかく周りの人を喜ばせろ。

周りの期待を遥かに超える
働きをしてみろ!

そうすればいつかきっと
あなたから買いたい。
あなたじゃなければだめ。

沢山のファンが出来て
お前の背中に、
勝手に肩書を書いてくれる。

自分で分からなければ
一生懸命周りの人のために
動けばいいんだ”

もし天職を知りたいと
悩む若い人がいるならば
この言葉も
送りたいと思います。





だから私も
独立してすぐに
インテリアデザイナーになれた
訳ではありません。

それほど自分の中に芯があった訳ではなく
自分の好奇心や好きなこと
好きな物に触れることから
最初のビジネスを始めました。



次回はそんな回り道から
どうやって今の仕事である
インテリアデザイナーに
たどり着いたのか?


そんなお話させていただきます。

続きのブログ

自分の内側に目を向けたら、人生が好転し始めたお話その2 コネなし経験無しでフリーのインテリアコーディネーターになった型破りの方法とは?

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